某日>2024年は一年間に197本の映画を観ました。初めて観た新しい映画ではコルム・バレード監督の『コット、はじまりの夏』(2022年)がベスト作品でした。
僕はつまらない映画を何本も続いて観た後には以前に観た面白い映画を観たくなります。そんなふうに今年観た作品は、小林正樹監督の『切腹』(1963年)と『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)、アラン・J・パクラ監督の『ソフィーの選択』(1982年)、ピーター・ファレリー監督の『グリーンブック』(2018年)、中原俊監督の『コキーユ 貝殻』(1999年)、ロジャー・ミッシェル監督の『ノッティングヒルの恋人』(1999年)でした。
某日>道子さんとなんばヘ映画を観に行きました。行きの京阪特急で、優先座席に座っていたマスクの青年が席を僕に譲ってくれました。僕は京橋駅で下車する時に、「僕は詩人なのです。これを読んでくださいね。」と言って『愛優』の抜粋版と『詩と写真のポストカード』1枚を彼に手渡しました。
『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』という映画を見終えてすぐに息子に映画の感想をメールしたら、「いままさにぼくらも見ました」「すごい」と、夫婦で観たとの返信が届きました。
帰りの淀屋橋駅ホームで、小学3年生くらいの可愛いお嬢さんと優しそうな40歳くらいのご両親の中国系らしい3人家族の後ろに並びました。向かいの優先座席に座られたご家族のお嬢さんは僕と目が合うと恥ずかしそうにしていたのですが、ご両親は僕に笑顔を返してくださいました。うれしくなって、スマホの翻訳アプリで「僕は日本の詩人です。すべての子どもの幸せのために詩を書いています。ご一読ください」という内容を中国語でお見せしながら、抜粋版と『詩と写真のポストカード』3枚を手渡しました。すぐに抜粋版を読み始められたお父さんは、京橋で下車される時に「帰ってゆっくり読ませていただきます。」と、僕に日本語で話されました。日本人だったら失礼なことをしてしまいましたが、僕だけでなく道子さんも中国系の方々だと思っていたのです。
某日>詩集『愛する心に優しい花が咲く』は2022年8月6日発行です。10月のしじん月記に書きましたが、紀伊國屋書店梅田本店では発行直後から、紀伊國屋書店京橋店では2022年12月から現在までも面置きしていただいています。ということで、この両店では2023年と2024年の2年連続で『愛優』が一年間に最も売れた詩集になったようです。両店の担当書店員さんには感謝しかありません。
しかし、こんなふうに面置きにしてくださったらきちんと売れる内容のしっかりした詩集を、目立つように面置きして読者へ届けようとしてくださる書店員さんが全国的に少ないことがすごく残念です。
某日>近年は年に一度になっているビーフシチュー作りをしました。今年はいつもより5人分多い16人分を、渡す3日前から作り始めました。牛肉は和牛のシチュー用を1.6kg使い、野菜のカットを道子さんに手伝ってもらいながら3時間ほどで作り終えたのです。初日は昼から夕方にかけて作って火入れして、2日目は朝に火入れして味見してから味の調整し、夜にまた3回目の火入れして、3日目は朝晩火入れしましたから、計5回の火入れになりました。皆さんに渡す4日目は昼前に人数分をビニール袋に入れ、昼間に4家族分を皆さんへ渡しに京都と大阪へ行きました。
某日>お笑いをつぶしているのは誰でしょうか? などと言うと、「どういう意味?」と聞かれそうです。僕は落語も講談も好きですが、漫才が一番好きです。M-1のDVDは第1回から第10回までの10枚を所持しています。僕は、面白かった漫才(少しコントも入っていますが)を集めた私家版DVD2枚を作りましたが、その2枚には合計約13時間の笑いが詰まっています。
そんな僕ですが、もう来年からはM-1を観るのをやめます。2023年と2024年の2年続けて決勝出場者全員が僕には面白くなかったのです。
近年は毎年、年末年始にはすべてのお笑い番組を録画して観ていましたが、この年末年始は5番組ほどしか録画しませんでした。これを書いている時点では録画したもの全てを観終えていませんが、なぜ面白くなくなったのかが僕なりに分かりました。
テレビのひな壇に問題があるのではないでしょうか。お笑い芸人が仲間のお笑い芸人を笑わせることを目標にしているのです。そして仲間同士なので、大して面白くなくても大笑いし合うのです。
普通なら同じ道を極めようとする者同士は観客よりも厳しい評価をするものですが、それがないのです。
加えてもう一つ。売れること、有名になって金持ちになること、それを目標にしだしたらどんどん荒い芸になっていきますが、現在の多くの賞レースがそんな目標を後押ししているのです。
もちろんそれはお笑いだけのことではありません。芸術や政治だって、有名になって金持ちになりたい人たちがその世界を荒らしているようです。そしてそんな人たちをテレビなどのマスメディア、YouTube、SNSなどが無批判に後押ししている現実が社会をどんどん悪くしているように僕は思います。
某日>70歳の正月を迎えるにあたり、自らの人生を振り返ってみました。やはり詩人と呼ばれるようになったことを誇りに思っています。17歳の時には「詩を書いて生活できたらいいなあ」と思いましたが、詩を書いて61年、詩集を出版して22年経っても詩を書いて生活できるようにはなっていません。添人の働き、息子の支え、子ども出版スタッフの協力と支え、友人たちの心遣いのおかげで生活しています。
しかし、他の誰でもない髙木いさおの詩を書いていることに僕は誇りを持っています。詩集『愛する心に優しい花が咲く』を読んでいただけたら分かるはずですが、こんな詩を書いているのは世界中で僕一人です。
しかも自ら考えて行動する中から自然に湧き出てきた詩です。読者に向けて書いていますが、読者に迎合する詩は一編もありません。今も「詩を書くことで生活できるようになりたい」と思っていますが、「生活のために詩を書こう」とは少しも思っていません。
僕は、金銭を得るためや名声を得るための詩は書けません。そういう動機が微塵もない『純粋詩』しか書く気はありませんし、『純粋詩』しか書けないのです。そんな僕の詩集ですから、生活できるほど売れるのは今の世の中では無理なのかなあ、と思っています。すごく残念ですが。
でも僕は夢と希望を捨てない性格なので、いつか必ず僕の詩が世界中の沢山沢山の人たちに理解され愛される日が来ると思っているのです。
世界中のすべての子どもと誠実に生きようとするすべての大人の幸せのために書いている僕の詩を、この文章を読まれた方が広げようと動いてくださることを心から願っています。