某日>ツイッターのことです。僕は2015年4月からツイッターを始めました。その年の秋からネット被害が始まったので、その時から2020年4月までツイッターは休止していました。ですから僕のツイッター第1期は7カ月半ほどでした。そして2020年4月から再開したツイッター第2期は、現在も継続中なので丸2年間を超えました。
ところがフォロワーはずっと35人前後です。それにはやはり理由があるのでしょうが、それを考えて増やす対策をしようとは思っていません。僕のツイッターも僕の詩と同じで、飾らない真っ直ぐなツイートです。沢山載せている写真も加工したりするのは嫌なのでしていません。
他者のツイッターも見ないので、リツイートもしないですし、もちろんフォロワーにもなりません。
こんなツイッターですが、20人以上のフォロワーがいてくださったら続けていこうと思っています。
某日>68歳になりました。前々から公言していますが、70歳になったら終活を開始します。本、音楽CD、映画ソフト、などが沢山ありますし、書きかけの詩のノートや日記なども処理しないといけません。
ということで、僕が詩を広げる活動期間はあと丸2年間となってしまいました。たったの2年間です。
もし、僕の詩を広げる手伝いをしたい方がおられましたら、子ども出版までご連絡くださいね。
某日>僕の『こどものためにあいうえお』〈改訂版〉の愛読者で、この本を使って日本語を学んでくださっている、生野区のコリアタウン近くの『お好み焼きオモニ』のヒスンさんにお会いしに行きました。
初めてお会いした88歳のヒスンさんは、僕の手を握りながら「先生はもっと年寄りかと思っていました。」とおっしゃいました。僕は、喜んでいいのか良くないのか分からないまま、鉄板のあるテーブルの前に座りました。ヒスンさんは僕の隣に座って、体の不調を話しながらも、しっかりした物言いで昔話や現在の話をしてくださいました。僕は、名物のお好み焼き『オモニ焼き』をビールで美味しくいただきました。
そして、ヒスンさんと店先で何度もハグしてお別れしました。
某日>2月24日にロシアがウクライナへ武力侵攻して始まった『プーチン戦争』が、現在も続いています。
この戦争が始まってから、日本では『武力増強』や『敵基地攻撃能力』(反撃能力と言い換えだしました)、そして『核共有』などの言葉が声高に叫ばれるようになっています。
ヒロシマ、ナガサキを経験しての平和を願う心はどこへ行ってしまったのでしょうか。
今こそ日本は、戦争という最大の暴力をなくすための行動を各国の先頭に立ってする時だと思います。
相手がナイフを持っているから、こちらは素手では身を守れない。だから銃を持つべきだ。ところが、こちらが銃を持てば、相手は機関銃を持つようになります。じゃあこちらは戦車だ、となります。すると相手は対戦車ミサイルを準備します。
武器に対して武器で対抗するやり方には際限がないのです。
だから僕は、世界中から戦争に使うような武器をなくす軍縮を日本が先頭に立って進めるべきだと考えています。
『プーチン戦争』が続いている今だからこそ、戦争のない平和な世界の実現のために発言し、行動することが大事なのです。